とうとう迎えたバレンタイン前夜。
当日は平日なので、学校はさぞ甘い匂いで満たされることだろう。
あのような菓子会社の陰謀に釣られる人間たちの心情などは黒鋼には理解できないが、あの日以来ファイとチョコの話をしていないことを気にしているあたり、どうやら自分も釣られた側の人間ということらしい。
決してチョコが食べたいわけではないのだけど、こんなにまでも気にしてしまっていると、むしろチョコが食べたいだけだと言う方がすっきりするような気もした。
夜、仕事を終えて黒鋼が部屋に帰ると、テーブルに夕飯がラップをして置かれていて、温めて食べて下さいと書置きがあった。
明日は理事長の要望で特別調理実習で行われるため、ユゥイはまだ学校で準備をしている。
だからこの夕飯はファイが作ったものなのだろうけど、肝心の本人がいない。
どうしたことかと思い、黒鋼が着替えもせずに荷物だけ放り投げて隣のファイの部屋に勝手に入ると、途端に甘い匂いに襲われた。
匂いをたどっていけばキッチンにたどり着き、ファイがエプロンをしてこちらに背を向けて立っていた。
「何作ってんだ」
声をかけるとファイが驚いて振り向いたが、すぐにいつもの笑顔に戻った。
「チョコケーキだよー」
「あっちのは」
リビングの机にあるきれいにラッピングされた包みを指差すと、あれはトリュフだと言った。
「二つも弟に渡すのか?」
「ううん、こっちは侑子先生にあげるの」
その答えに顔をしかめると、ファイは視線から逃げるように作業を再開した。
「屈強な男に組み敷かれるだの言ってたのは何だったんだ」
「あはは、侑子先生が? 黒りん先生以上にありえないよー」
「俺だって十分ありえねぇ話だろ」
「もう。黒みゅう先生ったら、あんな話を本気にしてるの?」
少しだけトーンの下がった声に、黒鋼は言葉に詰まった。
あんなに大騒ぎしていたのはおまえだろうと言いたいのに、ファイからはあの時のようなふざけた調子は見受けられなかった。
「なら、俺にも作れ」
「嫌々食べる人には作りませーん」
それなりに勇気を出した一言だったのに簡単に拒否されて、黒鋼は僅かながら羞恥を感じた。
その羞恥を誤魔化すようにファイの隣に立ってケーキの生地を観察するふりをした。
甘ったるい匂いが強まって眉間に皺が寄りそうになるのを堪えていれば、ファイが仕方ないねと苦笑した。
「ごめんね、黒様先生には作れないよ」
「・・・・・・なんでだ」
「ユゥイは正しいから」
「理事長には作るのにか?」
「黒たん先生に作ることに問題があるんだ」
この間の話以上に理解のできない話だ。
一体何がどうなってこんな思考に行き着くのか、全く理解が及ばない。
「本当はオレも黒ぴー先生に作ってあげたいんだけどー。でも、オレにとってユゥイは絶対的に正しい人なんだー。ユゥイがダメって言ったことはどんな理由でもダメなの。逆に、ユゥイがして欲しいことならどんなことでもできるんだー」
液状の粘り気のあるチョコレートが生地に塗られていく。
ファイはユゥイのようなプロではないけど、かなりの腕前だから、完成品はさぞ見事な出来栄えなのだろう。
その完成品は、自分ではなく、あの理事長のもとへと渡ってしまう。
「ユゥイは優しい子だから、ときどきしか自分の希望を言わなくてー。だからオレはそれをどうしても叶えてあげたいの。
そうすることで黒たんに迷惑がかかるってことは分かってるんだけどー」
「あいつは何を望んでるんだ」
その問いにはファイは答えなかった。
ただ、ひどく困った瞳で微笑んだ。
どこがどう繋がって、自分にチョコが作れないなんて事態になったのか。
単にふざけた理論で遊んでいただけではなく、予想外に深刻な何かが潜んでいるのかもしれない。
明日は大イベント、バレンタイン。
さぁ、どうなる。
続く
ここいらで言っておきますが、私は「ほのぼの鬱かわいい」が大好きです
完全なるハッピーエンド主義の方は、この次のお話は読まないことをお勧めします
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