そのに
朝は寝坊して飛び起きて、その拍子にいつの間にか腹の上に乗っかっていた花(食虫植物)の妖精が飛んでいくのを見た。
夢じゃなかったのかとか思う余裕はなくて、とにかく急いでいたため眠たそうに目をこする妖精は無視して家を出ることになった。
何とかいつも通りの電車に乗ることができ、そこでようやく昨晩のことを思い出すにいたった。
妖精は、名をファイと言った。
ファイは隣の部屋のベランダでのんびりのびのび育っていたそうだが、やはり日光とわずかな雨だけでは育ちがよくないらしい。
黒鋼の部屋の隣人はほとんど帰ってくることがないから、手入れもしてもらえないのだそうだ。
食虫植物に手入れなんて必要なのかと思ったが、食虫植物だって愛情が欲しいとファイは言う。
植物には全く興味のない黒鋼はそんなファイの話を、子守唄代わりに聞いていた。
そして会社に着いて、その日は普段と変わりない日常を過ごした。
家に帰る時間は、少しだけ緊張していた。
部屋にまだファイがいれば妖精なんて非現実的な生物を認めなければならないし、ファイがいなければ自分は幻覚を見てそれを現実と信じた精神疾患のある人間であることを認めなければならないからだ。
どちらにせよ認めがたい事実であるが、どちらがいいかといえば前者であった。
さぁどちらだ、と勢いよく玄関の扉を開けると、部屋の明かりがついていた。
中へ進むと、リビングでビールを片手にソファでテレビを見ている金髪の妖精が黒鋼を見てグッと親指を立てた。
「おかえり! 任務は完了したよー!」
「妖精が自堕落な生活送ってんじゃねぇよ」
緊張はすぐに消え去った。
代わりにどうにも表現できないもどかしい暖かさが胸に広がった。
「ついでに今日燃えるゴミの日だったから、ゴミ捨てといたよー」
「あ? おまえ、その姿で外出たのか?」
「大丈夫、オレ、日中は普通の人間サイズにもなれるからー」
へらへらと笑うファイは、今は3頭身くらいの、人形みたいな格好をしている。
これが人間サイズになったとしたら、ゆるキャラの着ぐるみのようだと思ったが、たぶん普通の容姿になれるという意味なのだろう。
「黒たん、部屋汚いねー。お掃除しといたから早くオレを褒めなよー」
「そういや、確かにきれいになって・・・って黒たんって何だ!」
「あだ名だよー。ガスの領収書に名前書いてたの見たんだけど、読み方わかんなかったから、もう黒たんでいいやーって思って」
言いながら、ビールを飲み干したファイが空いた缶を水道ですすいでつぶした。
飲み終わったらその場に放置の黒鋼とは違い、ずいぶん律儀な奴だ。
妖精だからやはり清廉な場所を好むのだろうか?
「さ、早く褒めるなり感謝するなり崇めるなりするといいよ」
「・・・助かった」
「それだけー? オレ、掃除機もかけたしお布団も干したし水周りも掃除してお洗濯もしたんだよー?」
「そんなに、したのか?」
ぱさぱさと羽根を震わせてファイが黒鋼の前で憤慨した。
確認するべく台所やトイレや寝室を見てまわると、確かにファイの言った通りだった。
「あー・・・悪いな。こんなことまでやらせて」
「いいよー。おなかもいっぱいになったし」
そういえばファイは害虫の駆除を、捕食という手段で行ったのだろうか。
だとしたらあまり見たくない光景だ。
しかしファイのしたことは全て黒鋼にとってありがたいことばかりだった。
上手く感謝を伝えられないが、ファイは満足そうにしているから、伝わったことにしておくことにした、けれども。
「それにしたって割りに合わねぇだろ。こんだけのことしてもらったんだ、おまえは何かして欲しいことないのか?」
突然現れた謎の妖精ではあるが、恩返しくらいしなければならないと思う。
黒鋼は見た目に反して義理堅い人間だ。
一方的に何かをしてもらうのは居心地が悪い。
「して欲しいこと・・・言ったら、かなえてくれる?」
「まぁ、内容にもよるが」
「んん・・・じゃあ、あのね、このドラマ、観たい」
「ドラマ?」
「そう。これ1回目なんだけど、面白くて。オレの育て主は部屋にテレビ置いてないから・・・」
「それくらいなら好きなだけ観ていけばいい」
「わーい! じゃあついでにお酒も飲んでいい!?」
「もう飲んでるじゃねぇか」
つぶした缶を指差すと、ファイはおいしかったと笑った。
ドラマなら終わるまで3ヶ月程度だろうか、それくらいならば黒鋼も特に問題を見つけることはできなかった。
たいして考えずに了承したが、仕事が終わって部屋に帰ると電気がついていて、疲れた黒鋼に「おかえり」を言ってくれる者がいるというのはなかなか悪くない生活だった。
そうして許した同居(?)は黒鋼に癒しを与えた。
ファイはよく黒鋼にいたずらを仕掛けてきたりするが、それさえも黒鋼には暖かな安らぎの時間となっていた。
ずっと独り身で、職場には好みの女もいないし独身のままおっさんになっていくのかなんてことをちょうど考えていた頃だったのだ。
独身がペットを飼うのは逃げだとか言われたりもするが、癒されるなら何だっていいじゃないかと黒鋼は思う。
昔とは時代が違うのだ、人間ひとりでだって十分幸福を得られる。
そんなことを考えながら、眠るときは黒鋼の布団にもぐりこむ小さなファイのやわらかい金髪を指で梳きながら寝るのが最近のお気に入りになっていた。
一緒に自堕落にソファでビールを飲みながら例のドラマを観たり、一緒に風呂に入って湯船に浮かべたタオルの両端を沈めて真ん中で風船を作ったり、予想以上にファイとの仲を深めていた。
ファイは普通の人間サイズにもなれると最初に言ったが、黒鋼の前でその姿を見せたことはなかった。
たまに黒鋼が仕事に行っている間、散歩に出たりもするらしが、黒鋼の前では必ず小型犬サイズだった。
ファイが来てから黒鋼の生活も変わり、もう部屋が汚くなることはなかった。
しかし、こんな生活ならずっと続いてもいいかもしれない、なんてことをふと思った日の夜、事態は急変した。
部屋に帰っても電気がついていなかった。
こんなことは今までなかったから、黒鋼は嫌な予感がして恐る恐る電気を付けた。
ファイはソファにうずくまるようにして丸まって、苦しそうに呼吸を荒くしていた。
声を出すよりも早く、最悪の映像が黒鋼の瞼の奥に流れた。
続く
次で終わりね
このファイはWishの琥珀ちゃんみたいな感じと思ってください
[3回]
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