花のワルツ
いつも通り残業を終えて家に帰ってくると、部屋の奥の方で物音がした。
ごそごそと、明らかに何かがいる音だった。
まさか泥棒かとも思ったが、わりと大き目の音を立てて玄関の扉を閉めたはずだったから、泥棒ならばその音に気付かないはずがあるまい。
黒鋼は仕事で疲れていたため、早く正体を知ってしまおうと危険を考えずリビングの電気をつけた。
黒鋼は体格が良く力もかなり強いと自負していたため、やまたのおろちだろうがケルベロスだろうが何だって退治してやろうと、少々やけになっていた。
そしてぱっと明かりのついた部屋のすみには、見たことのない生き物がいた。
「あ、お邪魔してます」
捨てる予定で忘れていた燃えないゴミの入った袋の隣に、小型犬ほどの大きさの人間がいた。
人間の姿ではあったが、そんなに小さな人間はいるはずがないし、人間には目の前の生き物のような羽根は生えていない。
「・・・・・・」
「無視しないでよぅ!」
絶句してそれを見つめていると、それは不満げな声を上げた。
見た目は金の髪をした、西洋人風の男だ。
「わかるよ、君の反応はすごく正しい。君が考えている通り、こんな人間はいるはずないもの。だからその通りだよ、オレはいわゆる花の妖精さんです」
男は古代ギリシャやローマを彷彿させる、シンプルな白い布を体に巻いていた。
そんな出で立ちで透明の羽根まで持っているものだから、妖精だと名乗られて、なるほどと黒鋼は一瞬納得してしまった、けれど。
「・・・・・・いや、ないだろ」
「現代人は少し現実的過ぎるねー。君の常識が本当に正しいなんてどうして言えるの? どうして今見ているものは現実じゃないなんて否定してしまえるの?」
「花の妖精のくせに難しいこと言うな」
「きゃるん☆とか言ってほしかったー?」
「それはそれで腹立つな」
「わーがーまーまー」
自称花の妖精は羽根をぱたぱたさせて飛び上がった。
「ほらほらー。飛べるよー? 妖精だから飛べるんだよー?」
「あー、わかったから目の前を飛び回るな」
大きなハエを払うように手で男を遠ざけると、男は柔和な笑みを浮かべた。
「いいにおいがしたから、来たんだよ」
「いいおい?」
「そう、とってもいいにおい。この部屋からしてると思ったんだけど、君からもしてるねー」
そんなことを言われても黒鋼にはわからないにおいだった。
いつも生活している部屋だからか、何のにおいもしない。
そして黒鋼はこの非現実性を受け入れることに何の抵抗もなくなっていることに気付いた。
否定できないものは確かなものだと言うのは論を放棄してしまっているかもしれないが、黒鋼には否定するだけの元気がなかったのだ。
きっとこの男はアパートの下の花壇に咲いているタンポポの精だろう。
このふわふわした金の髪が、まるでタンポポにしか見えないのだ。
さわり心地も綿毛のような感触に違いない。
ふにゃふにゃと笑うやわらかい笑顔を見ても、そうとしか考えられない。
「オレはね、食虫植物の精なんだけど」
「タンポポじゃねぇのかよ!」
「虫が集まるいいにおいがするなって思って来たら、君の部屋には案の定ゴミがいっぱいあって」
「いいにおいってゴミのにおいか! 俺からもしてるってどういうことだてめぇ!」
「オレ、本体はお隣の部屋のベランダにいるんだけど、最近虫が全然取れないんだよねー。オレの育て主の人も帰ってこないし。で、あんまりお腹がすきすぎて、ふらふらっと来ちゃったー」
さっきまでは崇高な精霊に見えていた男の格が、どーんと地に落ちた。
なんて俗的な妖精だ、ありがたさのかけらもない。
それどころか失礼極まりないし、ずうずうしい。
「オレは一つの統計的な予想に基づいてここへ来たんだよ」
「ふらふらと来たっつっただろ、今」
「明日、多大なる新たな生命の誕生によって、オレの空腹は満たされるだろう・・・」
「・・・・・・虫が大量発生するってか?」
「・・・・・・明日の、お昼ごろかな」
実は黒鋼も、これは心配していたことだった。
ビールの缶は洗わずに放置しているし、風呂場や台所の排水溝もずっと掃除していない。
そして何よりゴミを捨てずに溜め込んでしまっていることには、いつか良からぬ者たちが発生するだろうことを、心配していた。
「でも大丈夫! なぜならオレがいるから!」
とんと胸をたたいて男が偉そうなポーズをとった。
これはもしかしたら夢かもしれないが、この男の予言は限りなく現実に近いことだろう。
明日、夜疲れて帰った場所が虫たちの楽園だったとしたら、疲れは癒されないどころか倍増することは間違いない。
そうならばこれを現実だと賭けて、この男に駆除を頼むのが最善だ。
「わかった。ここにいてもいいから、明日は頼んだぞ」
「お任せあれー!」
非現実的な現実は、確かな存在として夜を越えた。
続く
続くんだよ、これ続くんだよ…
3部作です
[3回]
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